fumée d'ambre girls

出来の悪い人。思ったこと、考えていることを書く。何か嫌になったら逃げ込んでくる。音楽を作る。

LingLi

突然ではあるが僕は『無神論者』だ(広義的な意味で)。何か物事を起こす際、祈りを捧げたり崇拝して恐れを抱いたりすることはない。ただ僕のこの考えは少数派であり、また公言を控えるべき思想なのだと、ここ最近になってようやく理解することができた。

僕はよく色々な物事を批判する。そこは捻くれ者の性故にどうしようもないのだけれど、この捻くれ者という代名詞が纏わる起因として上述した『無神論』という思想の有無がある。

 

宗教信仰者は時に『神よ!』と賛賞したり喜んだり、また懇願したり憂いたりする。物凄く率直に、簡単に控えずに揶揄すると僕はその姿が出来損ない、もとい気狂いそのものにしか見えない。物事が上手く行った時には自分達は正しかったのだとその信仰を肯定するような発言をするが逆に上手くいかなかったりするとその疑問点を信仰に向けたりする。甚だ馬鹿馬鹿しく実に下らない。ところが大きな成功を収めた者の中に神の加護なぞと発言するものは少なく、全ては自分自身の力で勝ち取ったのだと、突然今迄の信仰を無かったかのようにしあっけらかんとする奴もいる。僕から見るとようやく気付いたか、ぐらいのものである。返って未だ成功を求められなかったり失敗を繰り返している者ほど、神への信仰が足りないのだという発言が増えてくる。この現状が何を意味するのかというと、要するに『有神論』を根に生活を送る人は知らぬ間に己等をその神とやらの奴隷や一駒のように扱っているのである。増して悲しいことにそれに自覚が無い。側から見ていると非常に滑稽である。『よくぞやってくれた!』、『何故こんなことをするのだ!』と同じ相手に向かって言動する様を僕は良く見て来た。勿論人間同士の話だ。するとその質問に対して沈黙してしまったり、理由を述べたりする。そういう事象の積み重ねで今の歴史や技術は成り立って来たのだと僕は考えるのだが有神論者の諸君はどうやって人類が発展してきたのかをどういう風に考えているのか知りたくなる。仮にもその信仰とやらで何かしらの返答、解決策が見つかるのならまだしも姿を見せもせず沈黙を続ける相手に必死に訴えかけたことが人類の発展に貢献したとでも思っているのだろうか?いやはや不思議で堪らない。よくそんな身分で自我だの欲だのを抱けたものだなと逆に感心する。一体彼等は何を目的に生き、また生まれて来たのだろうか?生命は本能的に度々起こる困難や壁といった現象に抗おうとする。僕はそれ自体が『生きる』という行為の起因なのだと思っているのだが彼等はどう思っているのだろうか?いつまでも得体の知れないものに媚び諂い何の成果もあげられないと今度は他人の思想、心理にまで足を踏み入れ自らの思想を押し付けたりしてくる。これが僕が無神論者であり有神論者を嫌う一番の理由である。その神とやらの全知全能たる者の使いにでもなった気になって他人のテリトリーを荒らしにくる。率直に言ってムカつくし詐欺、妨害、洗脳の一種としか僕には捉えられない。自由の国なぞと謳うあの大国。多くの科学的進歩、人類の新たな道への進出を先導して行なって来たあの国にもそういった考えを持っている人間が多くいるのだと考えると本当に下らないし国家繁栄の足を引っ張っているようにしか見えない。人類の進化は我々の神への信仰のおかげなのだと宣う奴らは、仮にそうだとしたら自分達には何の力もなく『偶像に縋って生きて来た我々こそが偉大なのだ』等といずれ言い出すのだろうか?また今では過激派などと呼ばれる組織が神のお告げだ等と言って関係のない生命を奪うまでに及んでいる。そこに人間、一生物としての価値があるのか?人権が必要なのか?僕には全くもって理解しかねる。

おっと、これ以上書き出すと侮蔑と蔑視が入り乱れた文章に成りかねないので申し訳ないがここでまとめとする。

 

己の思想観念を人に話すことほど愚かな行為はない。目標、夢、などはその野望を達成した後に言うのが実に効率的と言える。夢を語るのは後出しでいいのだ。というよりそっちの方が明らかに得である。説得力も出てくるしね。

僕も今後は自分の意思表示は最小限に抑え、地道に勝手に生きていこうと思う。但し、それをある程度公示しなければいけない世の中であるのも事実だ。あー考え出すとキリがない。もし神とやらがいるのなら僕が祈るのはただ一つだけ、早く浮世を終わらせてくれ、とそれだけである。人間にとって生きるという行為は他の生物に比べて余りにも無駄が多く、目的が途方もなさ過ぎる。

 

まぁ、だからこそ面白いのかもしれないのだけれど。

 

しかし、芸術というフィルタを通して見ると宗教とは中々興味深く、美しいものでもある。うん、世の中難しい。