fumée d'ambre gris

出来の悪い人。思ったこと、考えていることを書く。何か嫌になったら逃げ込んでくる。音楽を作る。

君と体温

三月の終わり、あと数日で新学期が始まるという時期、その数日のどこかで僕と彼女は旅に出る。目的も何もない、途方も無いような旅に出る。ただよく知っている道をただ歩く、他愛もない旅に出る。

話はするけど続かない。話題は二転三転する。でも会話が途切れることはない。そんな距離感で、そんな空気の中で、僕と彼女は歩き続ける。しかし三十分も経った頃、行けども行けどもずっと平坦なその道に嫌気がさした僕は、空き地に捨てるように立て掛けてあったスケートボードに乗った。ガラガラと音を立てるそいつは、少しずつ少しずつ前に進む。彼女はスニーカーの裏に付いているローラーで静かに付いてくる。何だか心地良くなさそうな僕に気付いたのか彼女は言う。

「貸して。」

「なんだよ。」

「いいから貸して。」

そう言って彼女は素手で汚れた僕の乗っていたスケートボードの土を払い出す。

「おいおい汚れるぞ。」

「平気平気。」

そう言って幾分かマシになったそいつを僕に返す。いつだってそうだった。見つけるのは僕で、後始末をするのは君。ブランコの裏の落書き、滑り台の上の蜘蛛の巣、ビリビリに破いたノート、壊れたプラモデル。僕はなんだか急に申し訳なくなり、いつもごめん、と言葉にできず謝る。謝ったつもりになる。誤る。そうやってまた間違える。時間が経てば経つほど彼女は汚れ、僕の周りは綺麗になる。ため息は幸せを逃す、と気怠い声で僕を叱咤する。優しく背中を押す。そっと頭を撫でる。殆ど笑わない僕だけれどそれは心が荒んだりしないからで、だから僕はいつも無表情を保てる。暖かい気温で、喉が渇かない湿度で、その穏やかな空間で安堵の表情を続けることができる。でもそれを伝えるだけの言葉を持っていない為口にはできず、声にはならない。たったそれだけのハズなのに、どうしてもどうしても、音にはならなかった。いつか言えるだろう。いつか言えればいい。そんな生活を、ただそれだけの日常を送りしばらくしたある日、彼女は呆気なく死んだ。

死因は風邪だったと聞いている。夏休みに入る前、体調を崩した彼女は学校を休んだ。しかしそれが長引き入院し、そして夏休みが終わり、新学期が始まった頃、担任から終わりが告げられた。それから僕は平凡な日々を過ごし、ただ残されただけの時間を過ごし、卒業した。大嫌いな式典のことはよく覚えていない。練習もちゃんとしたかさえ、本番で名前を呼ばれて返事をし、ちゃんと起立したかさえ覚えていない。ただ、今でも時々思い出すのは式典の最中、彼女の名前が呼ばれた時、四方からすすり泣く声が聞こえてきたこと。そして蒸せ返るような熱さの中、カラッカラに乾ききった風が吹き抜ける僕の心だけだった。

今でも春になるとあの頃の事をよく思い出す。旅に出たことや話した事。謝れなかったことや礼を言えなかったこと。突拍子だけれど、不思議と違和感のないタイミングでやってくる君の笑顔。五年経っても、十年経っても、思考を凝らせば、その一瞬一瞬が鮮明に蘇ってくる。その度に少し胸を痛め、空を見上げ、ごめん、ありがとう、と呟く。言いたかったこと、言えなかったこと、ただそれだけを伝え、そして必死にまた思い出そうとする。そしてその度に彼女は現れ、笑い、話し、あるべき場所へと帰って行く。ただ、あの時から無くした気温と湿度だけは、何度思い出そうとしても、二度と僕のもとへ帰って来ることはなかった。

 

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