fumée d'ambre girls

出来の悪い人。思ったこと、考えていることを書く。何か嫌になったら逃げ込んでくる。音楽を作る。

ここ数ヶ月、過去の環境を取り戻そうとしている。僕の脳機能障害の症状の一つとして『頻繁に環境を変えたがる』というものがあるが恐らくそれに該当するのだろう。もちろん自覚はあるのだけれど理由は全くわからない。別に今の環境に不自由さは感じないし、むしろ一般的な基準で計るのなら良好とも言える状況化にある。しかし何故だか新たに手にするものには次々と過去へと遡っていく情報が含まれている。ハッと気付いては一度手放すのだけれど、結局入手してしまう。また創作においてもそれが反映されていることを自覚している。

今はモノを作る際、未来、そしてこれからの事を意識して作るようにしているんだけど、パッと世界をイメージする度に浮かんでくるのは懐かしい風景であったり、いつかの心情だったり、次から次へと過去の自分を俯瞰しているようなものばかりが連想される。そういった時によく表れる感情としては、何故あの時こうしなかったのだろう、この一言さえ言えれば今はこんな状態じゃなかったのに…等の後悔の念が一般的なのだろうけれど、僕は特にそんなことはない。そんなことあったな〜とか、うんうんそれもまたアイカツだね!みたいなものばかりで悲しくなるような要素は一つもない。しかし何故…と、ふと考えてしまうことが増えた…

だけの話。といえばそれまでなんだけど何か吹っ切れないところがあって、結果よくわからないままグダグダになって13秒しかないトラックデータとかがアホみたいに残っている。もう開いて内容を思い出すのが面倒臭くて結局着手しない。

そうかこれが原因か、とも思えるけど完全にループになっているので脱出は困難。まるで便器の中のメダカ。

メダカの学校って仲間外れは無さそうだけど毎年感染症で廃校になるんだろうなぁ。それは哀しいなぁ…。

lagoon.

週末になると僕らは潟湖に集まる。

日々累積する憎しみや苦しみを、その湖沼で塗り固める。生きている中で人は知らぬ間に何かを傷付け誰かを奪う。そうやって犯した罪や穢れは二度と落とせないから、この潟湖の泥を塗ることで覆い隠すのだ。そう僕らは教えられてきた。いわゆるしきたりってやつだ。ここには村の様々な人が集まる。畑仕事を終えた農夫やその子供、大嫌いなクラスメイトのあいつだってやってくる。そして皆同じように日々の、生来の汚辱を塗り潰す。傷付け合って当たり前。奪い合うのが食べるということ。きっと君だって僕らと同じで、知らない誰かを傷付けて、大切なモノを奪って笑ってる。変えようは無いし救いようもない話だ。それが生きることだとわかっているのに、何故かこの世界には罪人と呼ばれる人達がいる。傷付け過ぎたのか奪い過ぎたのか、笑い過ぎたのか。それを悪行だと決めることを許されているのが大人達だ。あいつらは法に記された悲劇だけに目を凝らす。そうして選び取った誰かを罪人と名付け、枷をかける。その枷は時間を奪ったり言葉を奪ったり…或いは世界中に立ち入り禁止のパスを植え付けたりする。あらゆる場所に設置されたゲートを通過する時、そのコードに触れてしまえば再び罪人の名前が村を都市を駆け巡る。

全くもっておかしな話さ。法は厳しくなっている筈なのに彼らは一向に減らない。時間が進めば進むほどに増えていく。すぐに目につく。彼らを1人も見なかった日なんてもういつのことだっけ。コマ一切れすら思い出せないや。ねぇ、先生だってそうでしょ?僕は不思議で堪らなかったよ。

「誰かを悪く言ってはいけません。」

「物を盗んではいけません。」

「人を殺してはいけません。」

そうやって怒ってるあんた達と新聞やテレビでよく見る彼らが全く同じに見えるんだ。

背が高くて、眉を顰めるような臭いがして。顔と声は笑ってるのにその目と奥底には啀みが満ち満ちていて。

僕はそれが大人って生き物なんだって思ってた。歳をとることはこんなに怖い生き物になる事なんだって。だから大人達は口々に言うんだ。歳を取りたくない、若返りたいって。

だけどそれは違ったらしい。単なる僕の視界の狭さ、演算能力の低い脳内で繰り返される失敗作の寓話のようだ。決してお伽話ではないね。もっと残酷で、虚無感だけが残るような。だから寓話。間違っても語り継がれるようなことはあっちゃあならない。

そんな「人間の寓話」さ。

 

で、次の寓話はどんなだって?そんなもの無いよ。続きはもとより、何も始まってすらいないんだから。それでも脳は動いてるからね。こいつは片時も止まってくれないんだ。全く、滅入ってばかりだよ。だから僕は浮かんでるだけ。あと2時間もすればみんか集まってくる。世界の隅の西の外れ。今日もみんなが塗り潰す。痛みで微睡んだ潟湖にね。

そう、ただ浮かんでるんだ。

ラグーーン、ラグーーン…ってね。

Amber girls

夏になる。

空も海もアスファルトの照り返しも、共用施設の構内も空調機器も、全部全部、夏になる。

 

昨年の夏の記憶はまるでない。よく曲を作って、よく歌っていた気がする。

それから投薬を再開してちょうど1年が経過した頃でもあったと思う。副作用は幻覚、幻聴、夢遊行動ぐらいのものでこれといって生活を害するものは無く、ただ漠然とカレンダーの予定欄を埋めていくように、憮然と溜まった昨日の老廃物を浄化させるように、固形を確かめ数を数えては何の躊躇いも無く食道に流し込む。社会、家庭、友人等との社交が只々億劫で、生きている人間として数えられるのも釈然としない生存。周りの知人は皆一日に精を出し、成果や格差等の優劣とは無縁な生活を送っているように見えた。

 

僕はよく専門医に呼び出されて通院する。診察は完全予約制なんだけれど、何故か診察時間外でも診てくれたり、一緒に喫煙し談笑したり、少しでも楽になるようにと経済援助の手続きまで勧めてくれたり、ある種身内のように接してくれる医者だ。「君、死ぬよ?」と真剣に釘を刺されることも多かったが、その度に僕は「自ら死のうとは思わないですよ。それで誰かが責められるのは嫌だし。先生だって勝手に死んだのは僕なのに、自分のせいにされるのは心外でしょ?」と返す。

一体何が怖いのか、何故そのような思考に至るのか自分自身でもわからない。「君は本当に不思議だね。鬱病では無いのにどうしてそういう回答が出来るのかわからない。しっかりと意思はあるし離人病でもない。」、「面倒くさい奴で申し訳ない…」なんて会話も度々起きる。その度に良い医者に出会ったなぁとつくづく思う。1ヶ月近く通院をトチったら電話をかけて来て病状を問い、そして「明日、必ず来なさい。」と釘を刺される。それが医者の仕事だと言ってしまえばそれまでなのだけれど、問診してマニュアル通りに処方箋を出して終わりという医者が特に多い精神医療の世界ではとても稀な人だと思う。彼のおかげか今は無事通勤が出来ている。

思考の中から完全にすっぽ抜けていた『医者の治療に対する責任を慮る』ということ。どんな行動を取っても、僕次第で彼が責められる可能性があることにまるで気付いていなかった。無知蒙昧とまでは行かないがとても傲慢だったなと今は反省している。それからはちゃんと予約を取って、その日の診察時間内に通うようになった。ただそれだけのことが出来ていなかったが故に、叩けばすぐにボロボロと崩れ落ちるような壁で覆われた無窮洞を延々と回っていたのかと呆れる。

 

そんな生産性の無い日々の中でも、何故か芸術には必死にしがみ付いているのが謎。全くわからん。空想を現実に引き込み、また現実から空想へ行ったり来たりと、何か知らない物を知りたがるのはもうちょっと自尊心を満たしてからじゃないかね…と自分で首をもたげる。

 

あ〜今年も暑い熱い篤い。

ぶ厚い本も嫌いだけれど、日光の暑さはもっと嫌いだ。肌が炎症を起こす。多分、脳は熱いと認知している。だって痛くて熱いんだもの…かといってそれに抗おうとする精神はというと、とても希薄なのである。

おっと、これはこれは…なんと冷たくて重篤な生き物だこと…。

 

そんな中で、陽の光なぞに負けんばかりの眩い笑顔ではしゃぎ、道を行き交う 琥珀色の少女 達が僕にはとても美しく見える。

意味のわからない会話の端々に、何か…何かを思い出しそうになる。

きっと大切だった何か。

みんなは覚えているのかなぁ…。

 

かしこ

図解せず

頭の中のラクガキは未だ消えなくて
夢にまで現れたそいつを飼いこなせなくて

いくつか知れた名前を与えられて
なんとなく生きる意味にしてみたり
でもそんなこと梅雨知れず
あいつは現れて僕を覆ってくんです

頭の中のラクガキは未だ消えなくて
夢にまで現れたそいつを飼いこなせなくて
こいつならもしかして、なんて思ってまた空想に耽るんです

ほら、また生きたくて聞こえないフリをした

頭の中のラクガキは遂に見かねたのか
枕元に現れ、話しかけてきた
「お前なんか消えてしまえ」
それに笑ってまた眠りに就くのです

翌朝、ふと液晶を照らすと
ビルから少年が飛び降りていたのです

LingLi

突然ではあるが僕は『無神論者』だ(広義的な意味で)。何か物事を起こす際、祈りを捧げたり崇拝して恐れを抱いたりすることはない。ただ僕のこの考えは少数派であり、また公言を控えるべき思想なのだと、ここ最近になってようやく理解することができた。

僕はよく色々な物事を批判する。そこは捻くれ者の性故にどうしようもないのだけれど、この捻くれ者という代名詞が纏わる起因として上述した『無神論』という思想の有無がある。

 

宗教信仰者は時に『神よ!』と賛賞したり喜んだり、また懇願したり憂いたりする。物凄く率直に、簡単に控えずに揶揄すると僕はその姿が出来損ない、もとい気狂いそのものにしか見えない。物事が上手く行った時には自分達は正しかったのだとその信仰を肯定するような発言をするが逆に上手くいかなかったりするとその疑問点を信仰に向けたりする。甚だ馬鹿馬鹿しく実に下らない。ところが大きな成功を収めた者の中に神の加護なぞと発言するものは少なく、全ては自分自身の力で勝ち取ったのだと、突然今迄の信仰を無かったかのようにしあっけらかんとする奴もいる。僕から見るとようやく気付いたか、ぐらいのものである。返って未だ成功を求められなかったり失敗を繰り返している者ほど、神への信仰が足りないのだという発言が増えてくる。この現状が何を意味するのかというと、要するに『有神論』を根に生活を送る人は知らぬ間に己等をその神とやらの奴隷や一駒のように扱っているのである。増して悲しいことにそれに自覚が無い。側から見ていると非常に滑稽である。『よくぞやってくれた!』、『何故こんなことをするのだ!』と同じ相手に向かって言動する様を僕は良く見て来た。勿論人間同士の話だ。するとその質問に対して沈黙してしまったり、理由を述べたりする。そういう事象の積み重ねで今の歴史や技術は成り立って来たのだと僕は考えるのだが有神論者の諸君はどうやって人類が発展してきたのかをどういう風に考えているのか知りたくなる。仮にもその信仰とやらで何かしらの返答、解決策が見つかるのならまだしも姿を見せもせず沈黙を続ける相手に必死に訴えかけたことが人類の発展に貢献したとでも思っているのだろうか?いやはや不思議で堪らない。よくそんな身分で自我だの欲だのを抱けたものだなと逆に感心する。一体彼等は何を目的に生き、また生まれて来たのだろうか?生命は本能的に度々起こる困難や壁といった現象に抗おうとする。僕はそれ自体が『生きる』という行為の起因なのだと思っているのだが彼等はどう思っているのだろうか?いつまでも得体の知れないものに媚び諂い何の成果もあげられないと今度は他人の思想、心理にまで足を踏み入れ自らの思想を押し付けたりしてくる。これが僕が無神論者であり有神論者を嫌う一番の理由である。その神とやらの全知全能たる者の使いにでもなった気になって他人のテリトリーを荒らしにくる。率直に言ってムカつくし詐欺、妨害、洗脳の一種としか僕には捉えられない。自由の国なぞと謳うあの大国。多くの科学的進歩、人類の新たな道への進出を先導して行なって来たあの国にもそういった考えを持っている人間が多くいるのだと考えると本当に下らないし国家繁栄の足を引っ張っているようにしか見えない。人類の進化は我々の神への信仰のおかげなのだと宣う奴らは、仮にそうだとしたら自分達には何の力もなく『偶像に縋って生きて来た我々こそが偉大なのだ』等といずれ言い出すのだろうか?また今では過激派などと呼ばれる組織が神のお告げだ等と言って関係のない生命を奪うまでに及んでいる。そこに人間、一生物としての価値があるのか?人権が必要なのか?僕には全くもって理解しかねる。

おっと、これ以上書き出すと侮蔑と蔑視が入り乱れた文章に成りかねないので申し訳ないがここでまとめとする。

 

己の思想観念を人に話すことほど愚かな行為はない。目標、夢、などはその野望を達成した後に言うのが実に効率的と言える。夢を語るのは後出しでいいのだ。というよりそっちの方が明らかに得である。説得力も出てくるしね。

僕も今後は自分の意思表示は最小限に抑え、地道に勝手に生きていこうと思う。但し、それをある程度公示しなければいけない世の中であるのも事実だ。あー考え出すとキリがない。もし神とやらがいるのなら僕が祈るのはただ一つだけ、早く浮世を終わらせてくれ、とそれだけである。人間にとって生きるという行為は他の生物に比べて余りにも無駄が多く、目的が途方もなさ過ぎる。

 

まぁ、だからこそ面白いのかもしれないのだけれど。

 

しかし、芸術というフィルタを通して見ると宗教とは中々興味深く、美しいものでもある。うん、世の中難しい。

 

ひくめき

Alc.が充満した曲なので心配しないでください。

 

soundcloud.com

顱頂孔

 

未来見たい

ミライ見たい

ミライミタイ

 みらいみたい

 

過去と今、嫌い!キライ!

過去と今から逃げたい!

過去と今からもう抜け出したい!

 

未来見たい
ミライ見たい
ミライミタイ
みらいみたい

 

なんだか未来みたい...此処は?

心中

あいつを殺したくて仕方がない1日だった。もう呪縛は解けているはずなのにまだ縁が繋がっていて、こういう人間になってしまった所縁があるのが許せない。そして俺はあいつが死ぬ日を待ち望んではダラダラ、グラグラ、と項垂れ続け、時に憎しみに全身を染め此岸に立ち尽くしているのだろう。

正直、生きているのは母を不幸にしないということだけでそれ以外に目的は無い。何度も裏切られ騙されついには人格までも歪められてしまった彼女を大往生させる以外に意味はない。

その残された時間の中で俺は書き、読み、鳴らす。それだけは怠らぬよう、自分を救ってくれたそれだけは裏切らぬよう只々沈黙を続ける。

やがてその時が訪れれば、僕は子供達の為に動く。大人になりきれない子供達も、子供のまま大人になってしまった者達にも、ただそれらだけの為に歌う。満たされている奴らに興味はない。俺は音楽でそれらの者を救い、そして同時にあいつを殺す。きっとこの理念は一生消えることはない。だからその時まで俺は彼を待つ、約15年、こんなどうしようもない奴の為に時間を使ってくれた。そして今自分の為に使っているその時間が終わるまで俺は待つ。

そしてその2人が再度重なった時、俺は人々の前に姿を現わす。幾百をも超える子供達のために。